レポート

2004年5月25日 ?い嫉。
死ぬほど長い上に意味はない。

***

今の俺になったか。

「暗示」

これは大きい。

だが、何故そう考えた。
何故だ。

「人に見て欲しかったから」

あぁ、そうだった。
当然だな。

***

思うんだ。

自分の為じゃなくて人のために、なんて言うけど。
本当か?

対称が他人。

そんな本当に意識のあるのかどうかも判らない奴に?
他人の意思なんてシュレティンガーの猫と同じだ。
あるかどうかなんて判らない。
観測できない物が存在する、と誰が言えるのか。

知ってますか?

観測者はこの世の中にたった一人しか居ないんですよ。

「自分」

たった一人。

その限られた脳味噌と虚弱な入力装置で他人を観測者として認識することは不可能に近い。
この星にある砂粒の数ほどの要素を全て理解し、自分の中にそれを構築する事など人の一生などというちんけな時間では到底無理だ。

そいつは本当に意思、自我を持っているのか?
AutoMatonじゃないのか?

実際今まで見てきた人間はかなりがそうだった。
いや、正確にはかなりの部分がそれになっている。

何かを話していても言った言葉に対して理解、思考もせずにただ脳味噌が送り出してくる信号をそのまま口にする。

相手が発する信号を言語として翻訳し、単語の関連性から帰り値としての概略を生成し、相手、その場の状況、相手の反応予測、誘導性、自己の状態、等等の環境変数によって文章的概略選択、言語を生成し、返答としての信号を発する。

これだけのプロセスが既にAutoMatonとなっている輩がゴロゴロしている。
しかも相手から発せられた信号は言語に翻訳はされるが言語以上には解読されない。
つまり「意味」がないのだ。
何故その場でその言葉を発したのか、本人は知らないのだ。

本人の意思とは関係なく発せられる言葉。
それが普段してる会話の正体。
しかし、会話は自らの変数を改変させる。
だから気分が良くなったり悪くなったりと変化する訳だ。

だが、全く思考していない。
全て自動化されたモノを使用し結果をだしているに過ぎない。
(時々それで回答を出せない場合に限って思考を行う事もあるが。)

そんな自動化されたモノの塊が本当に自我を持つのか。
ましてや、自分、観測者に届くのはその虚弱な入力信号だけ。
相手に自我があるかなんて判断できるワケがない。

あぁ、よく考えるとヒト、生物は相手を完全に理解する必要なんて全くなかった。

相手がどの様な反応を返してくれて、それが自分の変数を向上させるかどうか、それだけ判っていれば全く持って問題なかった。

相手が「自我」を持つかどうかなんてどうでもよかった。

相手が如何に自分にとって有益かどうか、「自我」が気がつかないでも「脳」がそれを理解できれば後はどうでもよかったんだ。
例えそれが人でなくても。

あぁ、話がそれてた。
「他人の為に彼是」だった。

まぁ、上でも書いたが、要は自分の変数の値を如何に向上させられるか、だ。
自分で自分の変数は書き換えられない。
つまり、「自我」は「脳」を制御できない。
多少、なら出来るが。
怒りを制御したり感情をコントロールする事等等だ。

まぁ、もし本当に、他人の為だけに生きることができる、と言うならば、ソイツはAutoMatonだ。
自我を持たぬ人形だ。

そういう人々はよくこう口にする。

「自分の意思で」

コレを口に出来るようになるともうダメだ。
元々狭い領域しか持たぬ自我がAutoMatonに食われている。

この題だけの話ではないが、貴方はAutoMatonに食われてはいないか。
貴方が何かを考える時、考えているつもりが一瞬で答えが出る、なんてことになっていたらそれは既に食われている。
もしその事に気がつくことさえ出来なかったらかなり手遅れなところまで来ている。
貴方の自我は消えている。

人間は生きている中で、社会生活が隔たりも無く行える頃にはほとんどの自我がAutoMatonに食われている。
否、食われていると言うよりも自我を移し変えている、と言える。

「だって、こうこうこう言う理由だからこうだろう?」

としか言えなくなったらその部分に自我は既に存在しない。
それは既に自動化されている。

算数で「1+1は2」と言えなくなってしまうのと同じように。

***

クソ長くなった。

要はアレ。

AutoMatonになるな。

純粋にそれだけになった人間は既に人ではない。

自我は出力することが出来ない。
自分が自分である為に自我を維持しろ。

自動化された関数はこの人の世界で生きていく為に必要だ。
だがしかし、与えられた値がそのまま関数に入力するのではなく、自我によって値を渡せ。

「我考える、故に我在り」

この言葉の真髄を理解し、それが出来なければ、貴方の自我は消えてゆく。

確実に。

***

長くなった。
まぁいい。
私の脳味噌は他人からの信号では変化を起こしずらい。
考える事こそが、私を変化させるモノだから。

遠い話をしよう。
皆には関係も興味もない話だ。

***

私は生まれつき、なのかどうかは定かでないが、私には障害があった。
障害、というほどの物でもないかもしれないが。

私は入力が弱い。

聴力は普通、むしろ良いほうなのだが、信号を理解する能力が著しく低かった。
人間には先天的な言語能力と後天的な環境による教育によって言語理解の能力が高まっていくモノなのだが、私はそのどちらか、恐らく先天的なモノが壊れていた。
その為後天的な教育の能力もあまり効果をあげなかった。
そこで私は言語を理解するために聴力以外の能力を身に付け、それを総合的に理解することで言語の解読、翻訳になんとか成功した。
だがしかし、それら情報が限られる場合の言語理解能力はとても低い。

視覚。こちらも先天的なものがあり、一部の色の判断が曖昧、つまり色弱の症状が元からあった。
その外にも後天的なのか先天的なのか判らないが、私は人間、生物に対しての認識能力があまり高くなかった。
様々なモノで試したが、主に生物、美とされるものに対しての認識力が非常に低い。
恐らくコレは「ヒトがヒトらしい感情を持つ」という事の否定をする為の「暗示」であったと思われる。
この暗示はかなり初期に植えつけられたモノで、未だ排除することが出来ずにいる。

私は早い段階でこの自分のエラーに気がつき、解決に取り掛かった。
とても自然な事だった。
ヒトがヒトの中で生きていくためには他人との疎通が必要不可欠だからだ。

そこで私は、本来使うべきの、先天的な「人間の基礎関数」の使用を止めた。
そして、自分で自分の「基礎関数」を用意し、使用を始めた。

が、しかし。

ここが私の第一歩だと思う。
人が人としてあるべき物をその未熟すぎるモノで代用した結果。
私は他人と全く違う思考を行わなければならず、他人、大衆とは違うモノに成り果ててしまった。
幼い目から見てもそれはただの異端。
切り捨てられるのは当然だった。

だから私は、皆に好かれたい、大衆の一部として埋没したい、と思った。

そしてあの莫迦な暗示を自分にかけたんだ。

今思う。
私はどう転んでも、「私」に成り果てたのではないだろうか。
後悔もできない。

嗚呼、何故こんな事に気がついたのか。
「一人」で居る事に気がつかなければ、ずっと「大衆」の一人でいられたのに。

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